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 2025南大東島


 【木漏れ日が差す秋葉神社参道】




島のお昼時間(Ⅱ)
 
 


バリバリ岩



ついでに「バリバリ岩」にも行ってみよう。

南大東島は、フィリピン海プレートに乗って、一年に7㎝ほど、北西に移動しているのだという。この「バリバリ岩」は巨大な岩山が真っ二つに切り裂かれている場所で、陸地が移動している証拠となるものだ。

このバリバリ岩は、その切り裂かれてできた岩山の隙間を、歩いて観察できるようになっている。岩山と言っても表面に岩が露出しているわけではなく、もう年月が経って木々が生い茂っているので、見た目は普通の森の中に入っていくのと変わりはない。

岩山自体は巨大なので、切り裂かれてできた隙間は完全に崖状になっており、壁面はかなりの高さと長さがある。この岩の隙間には、あたかも当たり前の地面であるかのようにビロウの木が育っており、崖上の高さぐらいまで達している。このクレバスのような切れ目が、昨日今日できたものでないことを感じさせる。


プレートが移動している、といったことは、地震の話などではよくでてくる理屈なので頭では理解できるが、なかなかそれを実感として味わうことはできない。しかし、この巨大な岩の隙間に実際に身を置いてみると、「陸地が移動する→岩山が引きちぎられるように切り裂かれる」という物理的な現象が、肌感覚で理解できる。プレートの移動を、これほどまでに実感として体感できる場所は他にはないのかもしれない。


  
  スケール感が分かりづらいが、中写真は隙間に育ったビロウの木、右写真の奥に見えるのは石の階段である。  



大東神社と秋葉神社



島には少なくとも二つの神社があるようで、一つは集落に近い、島の西側にある大東神社で、もう一つは空港の近く、島の東側にある秋葉神社だ。もちろん観光スポットでも何でもなく、地元の方々のためのものだ。

島では伝統的に相撲がおこなわれているようで、大東神社には屋根付きの土俵もあり、歴代の力士の名前や写真も掲示されている。南大東と北大東との間では一年に一回、スポーツの対抗戦による交流が行われており、球技などとともに相撲も競われているので、それくらい盛んなようだ。

対抗戦の日、球技に出場する彼が、北大東からやってくる。優奈は以前から彼に思いを寄せている。それは彼も同じだ。彼から連絡先のメモを差し出された優奈は、彼が手にけがをしているのに気づいてバンドエイドを渡す。その脇の土俵では、父親が北大東の選手と対抗戦の相撲を取っている・・・「旅立ちの島唄」で、そんなシーンが撮影されているのも、この参道の石段の上だ。


その参道自体が非常に特徴的なのが、もうひとつの秋葉神社だ。両脇をフクギ?に囲まれてトンネルのようになった参道が、入り口から400mぐらいに渡って、一直線に神社へと向かっているのである。(=冒頭写真) 実に見事だ。

参道には木漏れ日が差し込んでいる。そこを歩いていくだけで、身も心も清められていくような気がする。


 
大東神社
左) 右側に見えるのが土俵


南大東空港



観光名所でもなんでもないが、時間ができればすぐに立ち寄っていたのが、南大東空港である。空港という空間は、その場にいるだけで旅情を掻き立ててくれるからだが、冷房が入っているので涼しいのだ(笑。

空港には、朝と夕方の二回しか飛行機はやってこない。離島の空港は普通、飛行機が発着する時間以外は閉ざされていても不思議ではないのだが、この空港は一応朝から夕方まで解放されているのである。ただ、ほんの小さな土産物売り場が開くのも、飛行機が飛んでくる前後の時間帯だけだ。

航空会社の係員しかいない、がらんとした待合室の椅子にひとり腰かけて、さて次はどうしようかと考える。今回はすべて行き当たりばったり、運用もテキトーで、予定というものは全く立てていない。


外から眺めていても、白いターミナルビルは南の孤島の空港の風情を感じさせる。南国独特の青い空と白い雲が絵になるからだ。

飛行機が飛んでくるのは一日二回だけ。それだけに、遠くに小さく聞こえ始めたプロペラ音がすぐに大きくなり、やがて滑走路に力強く舞い降りてくるところを眺めていると、観光スポットでなくても離島を旅していることを実感させられる。この光景が繰り広げられるのは、一日に二回だけなのだ。


 那覇との間を行き来するのは、DHCダッシュ8のQ400。
 到着して30分もすると、折り返しで那覇へと離陸していった。




 
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