[悪石島にて: 静まり返った湖面のような海の向こう、諏訪之瀬島が浮かぶ。荒天が続く中、一日だけ晴れた姿を見せてくれる。]




序章 


トカラ列島が一躍脚光を浴びたのは、2009年の皆既日食の時だ。当局もそれまで、「悪石島」などという名前を聞いたことはあったものの、いったい南の方のどこら辺にあるのか、その正確な位置は恥ずかしながら全く分かっていなかった。この年の日食は、皆既食の時間が100年に一度ともいわれるほどの最長のスケールのものだった。悪石島が有名になったのは、日本の陸地上では皆既食になっている時間が最も長くなるためだった。この時は、数百人ともいわれる研究者や観察者、報道陣が島に殺到し、宿のキャパをはるかにオーバーすることになり、マスコミがこの小さな島に降ってわいた異変を大きく取り上げていた。それもそのはず、悪石島には4、5軒程度の民宿があるだけだ。そもそも人口も80人程度しかいない島なのである。

残念ながらその時は天候が今一つで、肝心の日食観察の出来の方も今一つだったという記憶が残る。日食観察については、天気図を見ながらより良い場所に移動できる、船での観察ツアー組の方に軍配が上がったが、それでも、この島をある程度全国区にするには、十分に貢献した。

今年の離島運用は、トカラ列島の宝島と悪石島だ。南北に延びるトカラ列島には、有人島が7つあり、宝島、悪石島のほかは、小宝島、平島、諏訪之瀬島、中之島、口之島の5つだ。宝島は最も南に位置し、悪石島は列島の中ほどに位置する。全体が十島村で、村域は南北160Kmに及び、日本で最も「長い」村と呼ばれる。島々へのアクセスは村が運航するフェリーのみ。鹿児島と奄美大島の間を、各島を結びながら片道16時間で行き来するフェリー「としま2」だ。このとしま2が週に2回程度往復する。

実は、この週2便しかないというところが実に曲者で、仕事を休む日数を最小限にし(=したがって基本的に土日を挟まなければいけない)、かつ、列島での「複数の島」での運用を実現し(=複数というところがポイント(笑)、しかも「効率的に」運用(=コンディションが上がりそうな時間帯を移動に費やしては意味がない)しようとすると、船の運航スケジュールと運用計画の最適な組み合わせは、難解なパズルを解く以上に??難しい。当たり前だが、トカラ列島の島々への出入り口は、奄美大島の名瀬港か鹿児島港の二つに一つしかないからだ。

今回は出入り口の両方を、奄美大島側に設定、鹿児島経由で奄美に飛んでみる。


左、中)奄美大島名瀬港に停泊中の「としま2」。
右)船内に設置された航行位置を表示するモニターで、トカラ列島の全体像が分かる。


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 2019 トカラ列島 宝島・悪石島
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