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 2023硫黄島3島MM



 【南硫黄島】




3島とは 


 硫黄島3島とは、南硫黄島、硫黄島、北硫黄島の3島のことである。いわゆる火山列島の島々だ。地理的には、小笠原群島の父島より更に南へ270Km(硫黄島まで)、もっとわかりやすい?表現としては、東京とグアムの中間地点ということになる。「北」、「南」の位置関係はその通りで、南硫黄島が、硫黄島よりさらに南へ60Km強、北硫黄島が硫黄島から北へ70Km強という位置関係だ。

3島はすべて「硫黄島」の名前がついているので、すべて同じような島と捉えられがちだが、それぞれ特徴は異なる。例えば、南硫黄島は、今に至るまで歴史的に定住者がないので、太古のままの自然の生態系などを保っている、世界的に見ても稀な場所とされる。したがって、学術的研究価値は高い。一方、硫黄島、北硫黄島には、少なくとも明治時代には日本人が定住を初め、硫黄の採掘(硫黄島)やさとうきび栽培の開墾をはじめとする糖業や、蔬菜類の生産が行われてきた。北硫黄島では、先史時代の遺跡が発見されていることから、古代にも人が定住していたとされている。

外形的にも大きな相違がある。南・北の硫黄島は、火山が海上に突き出たような地形だが、硫黄島は、平坦な、火山の堆積物のような島である。そして、硫黄島については、言うまでもなく、先の戦争で日米双方に夥しい数の戦死傷者を出した、歴史的な激戦地であり、現在では自衛隊の基地などが置かれている。そして、北硫黄島、南硫黄島は、父島、母島などの小笠原群島とともに、世界自然遺産の対象地域になっているが、硫黄島のみその対象から外されている。

硫黄島については激戦地であったが故に、映画などでも取り上げられることが多い。全編にわたって硫黄島を取り上げたクリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作、『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』は有名だが、日本映画では宇野重吉さんが監督された『硫黄島』などもある。3作とも、その時そこで何が起こっていたのか、もしくは、その時そこで起こったことを起点に何がおこったのか、について正面から取り組もうとする姿勢が感じられる。特に『父親たちの星条旗』も『硫黄島』も、実際のドキュメンタリーや事件がストーリーのベースになっている。もちろん、そこから何を考えるかについては我々に委ねられている。


3島とも、立ち入り制限地域なので、基本的に立ち入りはできない。したがって、北硫黄島は敗戦から80年近く経った今でも無人島のままだ。しかし、なぜ立ち入りできないのか?南硫黄島はその理由は明白だが、北硫黄島と硫黄島は明治時代からコミュニティーがつくられ、そこで暮らしていた人々もいたのである。今でも故郷に帰ることができない人たちがいる、ということについては留意すべきだろう。社会学者の石原俊さんが著書「硫黄島」(中公新書)で、歴史的・政治的観点から、現在の小笠原諸島地域が置かれている立ち位置やその課題等について、興味深い論考を行われているので、こちら方面に赴かれる方にとっては特に、必読の書かもしれない。

立ち入り制限地域ということは、当然そこまでの交通手段はない、ということである。したがって、その地域からなかなか電波を出すチャンスがないということである。ただ、この3島を巡るクルーズが、小笠原海運により年一回だけ行われているのである。東京から父島へ到着した船を、そのまま3島クルーズへと回すのである。今回はこのクルーズに便乗して、小笠原の更に南の地帯から、11mがどのように飛び受けするのか、交信にトライしてみようという計画だ。このクルーズには以前から乗りたかったのだが、申し込もうとした矢先にコロナで中断、今年が4年ぶりの再開1回目である。

さあ、火山列島から、果たして交信なるのか?



  おがさわら丸船内展示写真より引用     父島二見港に到着したおがさわら丸(6/30)




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