おそるべき、Made in Japan


先日、トランシーバーを整備していたときの話だ。オークションで入手して、受け取ってそのままになっていたトランシーバーである。どうせ電池は入っていないだろうと、外部電源で作動を確認、清掃をしながら電池ボックスを確認すると、なんと乾電池(単三 8本)がはいっているではないか。電圧を計測してみると1.42V強ある。出品者が動作確認に使用したものかと思いつつ、何気に電池の底を見て驚いた。なんと、91-03と91-05(同じ種類の電池)と刻印されている!当時は使用期限ではなく、製造年月の記載だったようで、17年前の日本製(Made in Japan)の電池である。
トランシーバーもその頃のものなので、おそらく当時そのトランシーバーを使っていた所有者が入れたままの電池が、そのまま電池ボックスに残ったまま経過したものと思われる。何の変哲もないマンガン電池だが、液漏れもまったくなく、電池ボックスもキレイだ。おそるおそる電源を入れてみると、送受信はまったく問題ない…。電池には「補償 期間:製造年月より2年間」とあり、「この電池の液漏れにより使用器具を損傷させた場合、器具を修理または同等品と交換する」、旨の記載がある。


 91年製マンガン電池

最近は当たり前なのか?、このような表記は見なくなった。 91-03の刻印が。

メーカーにとっても消費者にとっても、もはや乾電池は液漏れしないもの、との常識からか、最近の乾電池、すくなくとも当局がよく購入する100円ショップの中国製やマレーシア製の単三乾電池には日本のメーカーブランドのものも含めてそのような記載は見ることがなくなった。

いまや、Made in Japanは高品質の代名詞となって久しい。85年の映画「Back to the Future」では、1985年から1955年の世界に、タイムマシンに改造されたデロリアンに乗って移動した主人公マーフィーが、発明家ブラウン博士(通称「ドック」)に、ビクター製のビデオカメラを見せるシーンが出てくる。もはや85年時点では、日本製は高品質の代名詞だが、「安かろう、悪かろう」の代名詞だった「日本製」がはびこっていた50年代に生きるドックにとっては、日本製は高性能なのが当たり前だと思っているマーフィーを、自分が将来発明するタイムマシンに乗って未来からやってきた少年だと、端から信じようとしない。
もちろん、日本製品が信頼を勝ち得るまでには、かなりの時間を要した。トヨタが1957年に最初にアメリカに輸出したクラウンはアメリカのユーザーからこっぴどい評価を受けた。ソニーがアメリカに輸出した初期のトランジスタラジオはパナマ運河を越えるだけで、コンデンサに支障をきたし、たくさんの返品を抱えた。
以来、いわば「プロジェクトX」的世界の積み重ねが一昔前の輸出立国日本のモノづくりを支え、それによって人々の懐も生活も豊かになってきたわけだが、家電などのメーカーが、安い労務費を求めて、海外に生産場所を移してからも久しくなってしまった。

会社のM&A(転売)や、バブル的投機によって、ものを造らずに金儲けをするという現代の風潮は、それ自体華々しく見え、個人や企業レベルで富を得る方法としては、それはそれで良いのかもしれない。しかし国家レベルで考えれば、モノを生み、モノを造る技術を生み出さない企業しか存在しない国はやがて衰退し、滅びてしまうのではないか、という危惧を抱かせる。特に資源のない国、これから人口が減り、少なくとも国内の市場規模が減少していく国が、何を強みとして世界の中で生き延びていくのか、という真剣な議論は政治家の中からはついぞ聞いたことがないような気がする。

ひょっとして、古い電池とはいえ、17年程度であれば何もなかったように機能するというのは、乾電池の世界では当たり前のことなのかもしれない。しかし、それを当たり前と感じるとすれば、まさしくそこに、技術の真髄があるように思われる。いつまでも、「日本製はたいしたものだ、やはりすごい」、という評判を聞き、それを誇らしげに思い続けられるような世界であって欲しいものだ。


                                                     ('08/4)
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