2013運用記
高烏谷山(その1)
長野県伊那市・駒ケ根市



[色づいた高烏谷山山頂にて]



運用待ちへGo

11月3日は、各地一斉オンエアデー(各オン)だ。天気予報は今一つだが、10月から「移動待ち」になっていた、高烏谷山(たかずやさん)に移動してみることにする。高烏谷山は、長野県伊那市と駒ケ根市の境にある標高1,331mほどの山であるが、なぜ高烏谷山なのか?それは後述だ。日本山名事典によると、高烏谷山頂には高烏谷神社奥宮があり、農業の神と八坂神社を分神した軍武の神を祭っているとのことだ。

高烏谷山運用は、2日間用意してある。各オン前日の2日(土)からの運用だ。茅野で「あずさ」からレンタカーに乗り換え、さっそく一路高烏谷山に向かう。天気は晴れ、途中、高遠へとぬける杖突峠などでは、木々が見事に黄色や紅に色づき始めている。

高烏谷山や伊那スキーリゾート(通称「伊那リ」)などの、伊那市周辺はナガノNP152局さんのホームグランドだが、残念ながら今日は単独運用である。高烏谷山山頂は、事典にあった通り小さな祠や石碑があり、ちょっとした広場のようになっており、西側には伊那から駒ケ根へと伊那谷が一望に見下ろせる、大変気持ちの良い場所だ。ここでも、紅や黄色が見事な色づきだ。「高烏谷山」という運用ロケの名前は、NP152局から伺って久しいが、ここに来るまでこんなに素晴らしい場所だとは思ってもみなかった。

さっそくテーブル状になった山名表示板に707を設置、ワッチに入ってみる。海外系のノイズが異様な高さだ。間断なくS5程度振ってくる。ピュルピュル音も激しい。ダメ元でCQを飛ばしてみると、以外にもさっそくナガノAA601局より応答がある。今日は霧ヶ峰で運用されているようだ。AA601番局とは、秋オン以来の交信であるが、OAD前日から運用されているところはさすがにアクティブだ。明日は鹿嶺高原から運用されるという。OADでは富士山、御嶽の特小連結レピーター運用が予定されているので、鹿嶺高原からは十分狙えるようである。しかしCBはノイズレベルが高く、いかにもラグチュー向きではない。長話は禁物だ。AA601局とはDCRでもつなげていただくが、静かなDCRは神経をとがらせる必要もなく聞くのも楽ちんだ。


緩やかな時間

AA601局との交信後は、山頂でのゆるりとしたワッチの時間が続く。CBはノイズレベルが高いので、707のボリュームはわずかに聞こえる程度に絞り込んである。もともとCBer密度の高いエリアではないので、運用局が少ないのは想定通りだが、秋の日の午後の移ろいゆく日差しをのんびりと眺めていると、過ぎ去る時間もまったく長くは感じない。祠にかかった紅葉の日差し、そして、背後には広大な中央アルプスが大パノラマで開けている。何とも気持ちの良い場所である。

 
 


15:30近くに、2局目となるナガノDF73局とDCRでつながる。ふもとの駒ケ根からということで、信号は超強力だ。DPR3をお使いとのことで、200mWでもビンビンに入感してくる。しかも特筆すべきは変調音が非常にきれいなことだ。DF73局が特別に上手な使い方をされているのか、はたまたデジタル機の日進月歩の進歩なのかは定かではないが、デジタルを全く感じさせない極めて自然な変調音である。DF73局も何度も高烏谷山で運用されたことがあるようで、山頂の情景にはお詳しい。当局の目の前に見えている紅葉している木の名前などを教えていただく。

ところでここらあたりの主、NP152局は、今頃どうしているだろう?と、夕暮れが迫り始めた山頂で思いを巡らしていると、偶然にもDPR5からポツリポツリと当局を呼んでいるらしき信号が呼び出しチャンネルからもれてくる。応答してもしばらくレスポンスがないが、やがて信号強度は徐々に上昇し、信号を送ってきているのはNP152局であるのがはっきりしてくる。カムバックモービルからのようで、信号が途切れ途切れだったのはそのせいだ。いや~、よかった。ここまで来てNP152局とつながらないというのも詐欺のようで大変失礼な話だ。

「高烏谷山っていい場所ですね~」といった話をしながら、「今日は狙っていた風景が撮れませんでした」というと、「明日は伊那リに行ってみては?」と言われる。伊那リに行けば、当局が狙っていたであろう風景と同じような光景を拝められますよ、というのである。そう、NP152局は、当局がなぜここにやってきたかをご存じなのである。





木枯し紋次郎とS字カーブ

8月のハムフェアでのCBers飲み会での話だ。イバラギAA818局と談笑していると、「今日は木枯し紋次郎のQSLカードを持ってきました」と言われる。「木枯し紋次郎」(原作:笹沢佐保)は、言うまでもなく、中村敦夫主演の傑作時代劇ドラマである。『あっしには、かかわりあいのねえことで・・・』というセリフに代表される紋次郎の生き方や人との関わり方は、核家族化がすっかり定着し、高度経済成長も終焉にさしかかった時代と密接に絡み合い、当時の文化論を巻き起こすほどの社会現象となった。

 AA818局の紋次郎カード

AA818局はご存じのとおり非常に凝ったQSLカードを作られる方で、当局もこれまでに何種類もいろいろなお手製のカードをいただいている。このカードは群馬のとある局長さん向けに特別に「制作」されたらしい。(木枯し紋次郎は「上州新田郡三日月村」の出身である(笑) カードは木枯し紋次郎テレビドラマ版のオープニング、上条恒彦の名曲「だれかが風の中で」が流れる、まさしくその先頭シーンである。この木枯し紋次郎は本編ももちろんだが、このオープニングにさえ、市川昆の映像美が随所に輝いている。この紋次郎がこちらに、ズンズンと歩いてくる光景、そして、どこかの山並みを映した後に、峠のS字カーブを紋次郎がズンズンと下りてくるシーンには伝統的な日本の風景の情感が凝縮されているように思われる。背景の色づいた木々はすでに耽美的な色に変わり、山の斜面や頂には雪も積もり始めている晩秋から初冬の季節だ。

AA818局にカードをもらって帰ってきたことがきっかけになり、9月に入り、なんとはなしにYouTubeなどで、何度かこのオープニングシーンを見返すことになる。このオープニングシーンの映像美には以前から惹かれるものがあったからだ。何度となく見返していたその時、ある山の風景に「なんとはなしに」見覚えがあることに気づいた。例のオープニングに流れる途中のS字カーブの峠のシーンである。このシーンは雪を抱いた高い山の方からカメラがパンしてきて、最後に峠のS字を下る紋次郎にズームするというシーンだ。見覚えがあるのはカメラがS字に移る直前、丘陵の向こう側に見える富士山型の山影だ。これはひょっとして、伊那富士??(伊那富士は戸倉山の別名である。)

オープニング動画の一例はこちら⇒
(YouTube)
 
 
オープニング動画


もう6、7年前だが、当局は、陣馬形山やら、伊那リやら、このあたりのそこかしこからカシミール映像を何度か作成したことがあり、その時の伊那富士の山影が記憶の片隅に残っていたようである。なぜそんなものを「撮影」していたかというと、もちろん無線運用のロケ検討のためである。

以前からこの映像の撮影場所が気になっていたので、さっそくカシミールでポイントを選んで「写真」を「撮影」し、撮影場所を特定してみる。特定のカギは伊那富士(とおぼしき山)と手前の山脈の重なり方だ。撮影方向はすぐに特定できるので、この重なり方を再現できる場所を探し出せばよいのだが、それにはそれほど時間はかからなかった。結果、撮影場所(カメラ位置)は伊那市富県小学校方面から、高烏谷山方向へと南に走る林道の途中のU字カーブの所、とピンポイントで特定できる。高烏谷山頂まで直線で1,100m手前の場所だ。

ここから、東から南南東へとカメラを回していることになる。すると・・・・カメラがパンし出す、最初に捉えた高い山は仙丈ケ岳ということになる。むむむ…これは少々ショックだ。仙丈ケ岳にはSVで何度も登っているが、それに気づかなかったとは…情けない。言い訳をすると、仙丈にはいつも山梨側から登っているので、こちら伊那側からの山容には慣れていなかった(笑。(山梨側からは優美な三角形のように見える。)したがって、カメラがパンしてくる途中に映っているのは南アルプスで、北岳や間ノ岳などが雪をかぶって映っている。

しばらくは、場所が特定できた自己満足で一人悦に浸かっていたのだが、ハタと気づいて、改めてネットで調べてみると、それが仙丈ケ岳であることぐらいはすぐに出てきた(爆。しかし、たまにはネットに頼らず自分で苦労して?調べるのもよいことだろう(ということにしておこう)。

それでは例のS字カーブはどこか?これは、カメラアングルから答えは簡単だ。高烏谷山の北側手前から、伊那市の新山という地区へ下る林道の途中である。カメラを据えた撮影場所から、S字までは直線で約700mの距離である。ここを最後にズームすることになる。

オープニング映像撮影場所からのカシミール映像

 
 
 2013年11月2日12時
焦点距離28㎜、風景設定「紅葉2」

焦点距離28㎜、「地図との合成表示」で撮影。
S字カーブの位置がよく分かる。
 


ところで、撮影された日時はいつなのか?番組の放送開始が1972年1月なので、常識的に考えて、1971年の晩秋から初冬である。そこで、カシミールで撮影時刻を1971年11月にもどして、山にできる影の形で日時を特定してみることに。オープニング映像を詳しく見てみると、仙丈ケ岳の側面や、手前の山並みの部分など、いくつかの場所に特徴的な影ができていることがわかる。カシミールでは、スライダーを動かして一日の時間を変化させて影のできかたを見ることができるが、これはプレビュー画面でしか使えないのでほとんど役に立たない。影を明確に出すためには、カメラを「プロ用高級カメラ」にして、ひとつひとつ画像を作成(撮影)する必要がある。ただし、カメラを「プロ用」にすると、演算上の解像度が極度に上がるため、当局のデスクトップCore i3 3.3GHz程度の非力なCPUでは一つの画像を作成するのに数十秒かかることになる。

カシミール上で10月下旬から11月のさまざまな日時時刻をとって映像を「撮影」し、影が最も近似する日時を探り出す試行錯誤の作業に、のべ20~30時間費やして出した結論は、1971年11月10日頃の13:40分頃、というものだが、それが合っているかどうかは全く不明である(笑。(そもそもカシミールで日時の答えを出そうということ自体が無理な話であるが。)もっとも、時間的には峠にかかる「紋次郎」の影の角度から、午後の早めの時間であることは容易に推定できる。

1) 
1971年11月10日13:40分の映像
1)の拡大
動画での○印の影のでき方にご注目
 



運用ではなかったの?(笑
場所がわかればそこへ行ってみたくなるのが人情だ。ここらあたりの主である、ナガノNP152局さんにさっそく連絡を取ってみると、動画を見られたうえで、「まんまその風景ですね」と言われる。もちろんこの付近一帯の風景ということで、高烏谷山近辺からの風景を特定したものではない。したがって今回は、高烏谷山運用と称しつつ、実はU字カーブの撮影ポイントからS字カーブを今みたらどうなっているのか、というのが大きなテーマである。
はたしてその結果や如何に?…って、以下にありますが。

ちなみに、2008年4月に当局が三重県の鈴北岳から運用した際に、高烏谷山におられたNP152局よりCBLレポートをいただいており、この時の運用記の中で偶然「木枯し紋次郎」に触れていたことが、妙に運命的に感じられたりもする(爆。

次回につづく>

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