[十国峠山頂展望デッキ] 






トロッコ



『五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。其処には両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路(みち)の方が好い、何時(いつ)までも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と云った。良平は直ぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑のにおいをあおりながら、ひたすべりに線路を走り出した。』


芥川龍之介の『トロッコ』の一節である。

・・・そう、トロッコは蜜柑畑の匂いを煽りながら、颯爽と駆け抜けていったのである。工夫と一緒にトロッコを一生懸命押して、丘陵の上までたどり着き、下りに差し掛かってトロッコは走り始める。今度は何もしなくてもどんどんと速度を増していく。良平の高揚感と爽快感がよく伝わってくる。

こうして、もうかなりの距離を楽しんできた。途中の茶店では、工夫はゆっくり休息をとりながら。しかし、どこまで行っても、トロッコは引き返す気配はなく更に前へ進んでいく。

やがて良平の高揚感は消え失せ、「早く戻ってくれればいいのに」、と今度は不安だけが頭をよぎり始めた。工夫が茶店でくれた菓子など、うれしくもなんともない。もうすでに、家族とさえも来たこともないような、少年一人ではどうにもできないほど遠く離れた場所まで来てしまっていることを、良平は分かっていたのである。

『「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家(うち)でも心配するずら」』


調子にのって、嬉々として好きなトロッコを工夫が押すのを手伝いながら、そしてそれに乗り、ここまでやってきた良平だが、トロッコはあるところまで行ったら、何かの作業を終えて、元の場所に引き返してくるのだろうと最初から思い込んでいたのである。しかし戻る気配は一向にない。そして工夫から発せられた言葉は一気に絶望の淵へと突き落とす衝撃の一言だった。今日は「向こう」泊りだから、村の方へは戻らないというのである。

こうした勘違いというのは、人生ではままおこるものだろう。しかし、状況を冷静に判断できるような年齢には至っていない、良平少年にとって、今やただ迫りくるのは底知れぬ不安と恐怖の世界だけだ。あるのは、ひょっとしたらこのまま家に辿りつくことができずに、途中でのたれ死んでしまうのではないか、このまま一生父や母に会えずにこの世を終えてしまうのではないかという、恐怖感のみだ。

これまでトロッコを押し、乗ってきた軌道上を、今度は一心不乱に村へ向かってひとり駆け戻る。

『竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山(ひがねやま)の空も、もう火照り(ほてり)が消えかかっていた。・・・
蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、すべってもつまずいても走って行った。』


匂いはおろか、さっきは陽を受けて輝いて見えていた蜜柑が、完全に色あせてしまっている。ただ頭にあるのは、なんとか家まで生きて帰りつくことだけだ。良平はもらったお菓子を放り投げ、板草履を脱ぎ捨て、必死に走り続ける。

もう、このまま家に帰れないかもしれない・・・「向こう泊り」と告げられ、自分の思い違いにあっけにとられた良平少年に降りかかったのは、なんとも抗する術がない、底知れぬ不安と絶望だ。良平少年のような経験は、多かれ少なかれ誰しもあるものだろう。ただ、なすすべもなく訪れてくる「ぼんやりした不安」にさいなまれていた芥川にとっては、我々以上に強くこの少年の感情を共有したのかもしれない。

 



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真鶴から湯河原へ


2022年12月のツツジ山運用では、当初、運用場所候補として日金山も挙がった。それまであった「年末の一日」問題が解決し、「トロッコ」のことが頭をもたげてきたからである。日金山は、静岡県熱海市と函南町の境にある山だ。無線のロケとして使われる「十国峠」とイコールで、世間一般ではこちらの名前の方がなじみが深い。頭をもたげてきたついでに、今日は日金山(十国峠)で運用してみる。

ここへは、東京方面からだと、箱根のターンパイクなどを経由していくか、小田原から海沿いに真鶴、湯河原を経由して、熱海から山(伊豆半島の背骨)へ上がる二つの方法がある。通常は時間的に山側から向かうのが普通だが、今日は湯河原から熱海ルートで行ってみる。

伊豆下田方面へは、数えきれないくらい通っているが、この海沿いの熱海や湯河原近辺は渋滞の名所で(特に休日の夕方)、真鶴近辺は国道を経由せずに、有料道路である真鶴道路を使うのが普通だ。国道は真鶴駅近辺の渋滞が特に激しいからである。(有料道路も渋滞するのであまり変わりはないが。) 今日は国道経由だが、まあ、朝の逆方向なので大丈夫でしょう。

真鶴近辺を海沿いの有料道路ではなく、より陸側の国道側を走っているのは、かつてあっただろうトロッコ軌道により近いだろうと思われたからである。芥川龍之介に素材を提供したとされる力石平蔵氏は、この湯河原出身だ。小説の冒頭は『小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。』で始まる。当時小田原・熱海間には人力の人車鉄道が走っていたが、人車から蒸気機関車による軽便鉄道への切替工事の時の、力石氏の少年時の回想が小説の基になっているとされている。

真鶴から湯河原の吉浜方面へと車を進めていくと、なるほど、今まで気付かなかったが、日金山(十国峠)のケーブル山頂駅の白い建物がよく見える。山頂だけでなく、山もかなり下の方まで見えるので、山容がわかる。真鶴は「真鶴岬」として有名だが、丘陵状の地形がそのまま海に突き出たような半島である。したがって、真鶴から湯河原の吉浜に向かっては丘陵上の斜面を下っていくような形になるので、湯河原の街並みの頭越しに日金山がよく見えるのである。

生きて帰れないかもしれないという恐怖心と闘いながら、一心不乱に家を目指して良平は駆け続ける。『竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山(ひがねやま)の空も、もう火照り(ほてり)が消えかかっていた。』というのが、もしここらあたりから見た光景だとすれば、確かに、夕焼けの時間帯を過ぎ、更に暗い背景になりつつある日金山がよく見えたはずだ。



日金山より


十国峠は、伊豆半島の背骨を走る「伊豆スカイライン」の起終点に近いので、車で走ってくるとついスルーしてしまうのが常だ。今日は超久しぶりに、ケーブルカーで上まで上がって運用を企ててみる。このケーブルカー、なんと車両は1956年の開業当初のものが未だに使われているから驚きだ。55年製らしいので、今年で御年68歳になる。

山頂は風が強いかと思いきや意外にもほとんど無風。寒さ対策の完全武装で来たので、むしろ少し汗ばむぐらいだ。雲はまだ少し多いもののこれから晴れ上がるという予報である。水蒸気も出ているのか、足下の初島は見えるものの、今日は伊豆七島は見渡すことができない。それでも十国が見渡せるという、名前の由来の通り、360°何も障害がないという爽快感は昔通りだ。


今日はいつも通りNTS115や外部スピーカーも持参しているが、出すのが面倒なので(笑、87R一丁で勝負である。勝負といっても運用局などいないのでしょうが。

CQは20~30分に一回出す感じである。想定通り全く応答はない(笑。2月初旬、真冬の土曜の朝、・・・当然ですが。

時々ホロホロとだしているCQに最初に応答いただいたのは、ちばTK29局だ。千葉の習志野らしいが、こちらからは56で飛んでいるという。こちらには51、こちらの標高は771mしかないが、いやに飛びがいい。相模湾と東京湾越えのせいか?シズオカSA824局は、真富士山(静岡市)からだ。高さがあるせいか、57/59と強力である。沼津からは、いつもEsでお世話になっている、しずおかCE33局からコールをいただく。54/59。ん~?、今日の87Rは、やはりSが渋いのか??

十国峠は、前述の通り静岡県函南町と静岡県熱海市の境にある。要は一応「静岡県」なので、ここまできたらローカルの盟友?しずおかDD23局に連絡を入れないわけにはいかない(笑。連絡するということは「出て来い」と言っているようなものなので、一瞬悩むが、ここまで来て黙って帰るのもかえって失礼だ。・・・まあ、そういうことにして、連絡を入れてみると(笑、どうも何やら工作中とのことだが、後で出てきてくれそうな雰囲気である。ブログを拝見している限りでは、最近は無線関連の計測機器やらを修理したりしていることが多いようなので、今日も修理に勤しんでいるのかもしれない。


10時を過ぎて、空から雲がどんどんお出かけしていくと、下界の街が輝きを増してくる。山頂はどこも展望良好だが、東側の縁からは、湯河原の街が良く見える。朝通ってきた国道、今日は通らなかった真鶴道路、真鶴駅方向へのJRの線路などなど・・・そして吉浜に寄せる白い波もよく見える。

朝、向こうからこちらが見えたのだから、こちらから向こうが良く見えるのは当然だ。しかしこちらからは、吉浜から真鶴方向へと続く、丘陵状になった真鶴岬の付け根の部分などの地形がよく見えるのだ。良平は、この丘陵をトロッコを押して登り、そして真鶴の向こう側へと、トロッコに飛び乗って颯爽と下って行ったのだろうか。そして帰りは文字通り命がけで駆け戻りながら、暮れなずむ日金山(こちら)を見たのかもしれない。丘陵からは湯河原の村の灯りも見えたに違いない。


左:湯河原の街と真鶴半島
右:左写真ズーム。真鶴が、丘陵状に半島になっているのが分かる。
  中央、橋のように見えるのが真鶴道路。その手前に吉浜。中央左にJR東海道線。
 



謎のA滑走路


8Chでは、時々おきなわYC228局が聞こえてくる。ただ41~51と弱弱しく、聞こえてこない時間が長い。下界にはもう少し強く落ちているようだが、それでもコールをかけている局はごくわずかだ。

グランドウェーブでは、めずらしくCQが聞こえてくる。コールしてみると、なかもずKS125局で、運用場所は伊豆大島の三原山らしい。大島にローカル局などおられなかったはずだから、短期逗留中なのだろうか?大島とつながることなどめったにないので、珍局には違いない。しかも、伊豆の山の上などからつながるのは、当局としてはこれが最後だろう(笑。KS125局とのQSOを終えると、DD23局からお声がかかる。やはり、移動させてしまいましたか(笑。富士宮市の西の山からだ。

今日も、例によって「暇予想」に従いエアバンドチェックである。特に、12月のツツジ山で行ったように羽田のA滑走路管制とC滑走路管制のチェックだ。まずは、小手調べにディパーチャーから聞いてみると、58程度で想定通りの入感だ。では、空港東側のC滑走路はどうか。こちらも58程度で問題ない。続いてA滑走路。???やはり53程度と異様に弱い(笑。埼玉県ときがわ町のツツジ山での差よりかなり大きい。ますます不可解だ。成田のディパーチャーなどもチェックしてみるが、羽田より若干落ちるものの57程度で全く問題ない。どうも羽田のA滑走路だけ弱いようだが、受信機がいかれているのか???(笑 これは、引き続き、他の場所でも確認してみる必要がある。


良平が見た日金山のように、暮れなずむ時間まで待っていたいところだが、今日は夕方用事があるのでそういうわけにもいかない。13時前に撤収だ。もっとも、下に下りる前に、山頂駅にある1059カフェ(てんごくカフェ)で、抹茶のモンブランと富士山ラテを頂くこととしよう。

 右: モンブランの中には抹茶のアイスが隠れています。モンブランは通常のマロンもあり。
 



6QSO、各局TNX!! (2023/2/11)

(文中敬称略)





運用データ


 ■運用日時・場所:

 
  ・2023年2月4日(土) 9:20~12:50 
    静岡県函南町・熱海市 日金山(十国峠)山頂
    (標高771m)
  
     

 ■使用&装備リグ:
   CB : NTS115 (西無線研究所)
        ICB-87R (SONY)

 ■使用&装備電源
   リチウムイオンポリマー電池11.1V/3.0Ah
   ・リチウムイオンポリマー電池11.1V/1.5Ah






QSO局
6QSO TNX!!  
(敬称略)

2023年2月4日(土) 晴れのち快晴 9:20~12:50      
ちばTK29/千葉県習志野市 51/56 シズオカSA824/静岡県静岡市真富士山 57/59
しずおかCE33/静岡県沼津市  54/59  なかもずKS125/東京都大島町三原山  56/59
しずおかDD23/静岡県富士宮市西の山  56/57  かながわBE11/神奈川県 59/59
  




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2023運用記
日金山(十国峠)
静岡県函南町・熱海市