与那国島異聞

                

ウヤヌクー

とある昔の話である・・・

その若者は島一番の乱暴者だ。
子供の頃から陰険な目つきをしていて、村中の人から嫌われていた。もちろん友達など誰一人いない。年老いた母と二人暮しだったが、一日中働きもせず、日がな一日ぶらぶらと遊んでいるだけである。母親の意見に耳を傾けるどころか、意見でもされようものなら逆に母親を足蹴にし、打ち据えるほどの乱暴ものである。

一方、母親と言えば、あたかも息子の罪を償うかのように、朝一番の鶏の鳴き声とともに畑に出て、一番星が昇るまで毎日せっせと働いていた。

ある日若者は、ふとした諍いから一人の男を殴り殺してしまう。若者は島を逃げ出し、残った母親は村八分にされた。

それから七年が過ぎ、やがて村人から、その事件のことも、その若者の記憶も消え去ったころ、ある若者が島に舞い戻ってきた。その若者は精悍な顔立ちをし、澄んだ目をしていたが、しかし、右肘から先の手がなかった。手が負えない乱暴ものだったその若者は、昔とはすっかり生まれ変わっていた。その若者は、自分が住んでいた頃の昔の様子をたどるが、屋敷のかまどは夏草に覆われ、村自体もなくなっている。当然母親の姿はそこにはなかった。

島では、時々村が移る。伝染病を避けるためであったり、新たな地に水を求めるためだ。若者はこっそり、村中を歩き回り母親を探し回るがどこにも姿はない。昔とはすっかり変わったその若者に、昔の乱暴者だと誰も気づくものはいなかった。

「もう死んでしまったに違いない。」若者は母親を探し回るうちに、いつしかそう嘆き悲しむようになっていたが、ある日、畑仕事の帰りに村はずれにある粗末なハルヤ(畑小屋)に通りかかると、中に明かりがともっている。中を垣間見ると、火のそばに、炎にほのかに照らされた老婆と、うら若い娘が粗末な夕食を食べている。自分の母親ではないか?若者の胸は高鳴る。しかし確信はない。

ある日、とうとう若者は意を決して老婆に尋ねてみる・・・しかし、老婆に息子はなく、娘と二人暮しで、何とかその日を暮らしていると言う…。「母親はもういないのだ。」いよいよ若者は自分の不甲斐なさを思い涙を流した。

若者はかつて、母親がそうしていたように、朝一番の鶏の鳴き声とともに畑に出て、一番星が昇るまで毎日せっせと働いた。右肘がない不自由さを感じさせないほどの働きぶりだ。そして、いつも食べものを携えては、足しげく例のハルヤを訪れた。老婆は地面に額を擦り付けるようにそれに感謝した。ただ、なぜか若者がハルヤを訪れる日は、きまって若い娘の姿はそこにはなかった。

若者は、たいそうな働きぶりで、掘っ立て小屋だった自分の家を建て替えて、人がちゃんと住める家にできるまでになった。新築祝いに、老婆と娘を招待し、ハルヤに迎えに行くと、老婆と娘は古びてはいるが晴れ着姿でそこに待っていた。若者は老婆を背負って坂道を下っていく。

年が改まると、娘は身重になった。若者は娘とささやかな祝言を挙げ、やがて夫婦は玉のような男の子を授かった。しかし幸せが満ち足りるほどに、若者は昔、母親を足蹴にし、抑えられぬ怒りのままに人様をあやめてしまった罪の意識に打ちひしがれる。それを打ち消すかのように、若者は以前にもまして朝早くから寝るまで畑仕事や夜なべ仕事に精を出した。傍らには若者を信じきった妻と、慈愛に満ちた眼差しの老婆、そしてニコニコ笑っている男の子がいてくれる。

それは星が降るような夜だった。若者は右ひじに焼けるような痛みを感じて飛び起きるように庭へ飛び出した。やがて痛みが治まり、抱え込んだ右手を覗き込んでみると、手があり、指があり・・・そこには完全な右手が戻っている。

『ああ、神仏がお許しになったのですね』
老婆に口止めをされていた娘は、とうとう本当のことを若者に語り始めた。

『今、一番座で眠っておられるあの方は、あなたの実の母親なのですよ』
『わたしは、五歳の時、母をなくしました。九歳の時、父を失いました』
『身寄りのないわたしを、あの方が引き取って育ててくれたのです』
『母ははやり病で死にました』

『そして…父は、あなたとの諍いがもとで、死んだのです』

『あの新築祝いの日以来』
『あの方もわたしもあなたを許せるようになりました。そして今日は』
『ああ、神仏までもがあなたをお許しになったのですね』


与那国島運用

この話は、「与那国島異聞」に収められている、一話である。この本は、与那国島に伝わる民話を集めたもののようである。当局が3年前(2009年)に与那国島から運用を行った際、空港に降り立ったときに、土産物屋さんに置いてあったのを何気に買ってきたものである。文庫本だが、出版日時はおろか出版社の記載も何一つない(笑。ほかにも紹介したい話はたくさんあるが、まずは一話だけに留めておこう。

今年の沖縄運用は、もう一度与那国島での運用を計画してみようということで、改めてこの本を読み返してみたがなかなかインパクトの強い本である。物語と言うより短詩形の短い文章だ。最近のテレビ番組を見ていると、世の中「感動欠乏症候群」なのか、無理に苦労話や、思いがけない成功話などをドラマチックに語ろうとする薄っぺらい番組が多いように見受けるが、こうした伝承話には長い時間語り継がれてきた、研ぎ澄まされた力がある。

さて、今年の与那国運用はどうなるのか?今年の沖縄運用を与那国にしようとしているのは、今年がサイクル24のピークでF層伝播にも期待しようというのが、その理由だが、最近のSSNをみていると50を行ったり来たりで余り芳しくはないようである。とは言え、3年前はまさしく黒点はボトム状態(=ゼロ)であったので、その差をなにがしか感じられれば良いと思っている。
                                   ('12/04)




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