久々に窪田アンプを造ってみる・・・(その1)

                

デジタル化

世の中、デジタル化が進んで「大きく」なったものと「小さく」なったものがある。大きい、小さいというのはもちろん物理的なサイズのことである。身近な電気製品で、劇的に大きくなったものの最たるものは、テレビで、小さくなったものの最たるものはオーディオ用のスピーカーかもしれない。もちろんそれ以外にもあるのかも知れないが、デジタル時代は必ずしもすべてを小型にするというものではないということである。

なぜテレビが大きくなったかといえば、デジタル化で解像度が上がり、従来は仮に画面を大きくしてもほとんど意味をなさなかったものが、画面を大きくしてもぼやけて興ざめすることなくより一層迫力ある画面で楽しめるようになったからである。もちろんテレビの場合は液晶他の電子デバイスが進化したということも欠かせない。今や液晶テレビでは40インチというのは当たり前だが、ブラウン管で40インチというのは家庭用では重すぎて全く使い物にならない。

一方、オーディオ用のスピーカーは小さくなったものの代表格の一つだ。音源(ソース)のデジタル化で、簡単にダイナミックレンジを稼ぐことができるようになった。つまり、エンクロージャやスピーカユニットは小さくても、そこそこ聞ける音が出せるようになったのである。昔のオーディオの世界では、スピーカーといえば30センチウーハーを持った3ウェイ構成以上というのが標準で、最低それくらいのシステムでないとオーディオファイルが少しでも納得できる音が出てこなかったのである。30センチウーハーといえば、当然口径が30センチあるわけで、3ウェイとなればスコーカー、ツイーターがついてくるので、エンクロージャの大きさは相応のものになる。タテ・ヨコの長さはだいたい想像がつきそうなものである。スピーカーの駆動方式やウーハーの駆動能力にもよるが、スピーカーの能力を引き出すには、基本的にはエンクロージャの容量は大きければ大きいほど良かったわけで、つまり奥行きも、それなりに必要だということである。

ここで言う「昔のオーディオの世界」、というのはアナログが頂点に達していた80年代頃の話である。その頃はまだ、「オーディオ」といえば、ある程度趣味として認知されていたような気もするが、アマチュア無線同様、もはや趣味の世界としてはかつての輝きはないように思われる。企業の動向を見てみれば一目瞭然で、AUシリーズなどのオーディオアンプを世に送り出していた山水は倒産して久しいし、オーディオに関しては無線機における八重洲のような存在だったパイオニアですら息絶え絶えの状況だ。

最近、超久しぶりに家電量販店の試聴スペースに行って驚いたのが、試聴用のスピーカーがあまりに舶来品が多いことだ。昔から別格だったJBLなど一部の海外品は別だが、以前はスピーカーといえば日本製が君臨していた時代があった。北欧の放送局のスタジオモニターとして、ヤマハのNS-1000Mが使われていたなどというのは今となっては象徴的な出来事の一つだったのだろう。そんな時代は遥かかなた遠くに去ったようである。それだけ日本のメーカーは力を入れていないということだろうし、逆に海外の中小メーカーは力を入れているということかも知れない。当局が思うところでは、CB無線機における87Rと同様に、日本のメーカーはP/L(損益)最優先で、事業には魂がこもっていない。というより、魂を込めることができない、といった方が正確かも知れない。そもそも大企業の一部門がやっている以上は、損益が優先するのが当たり前なので、時代の趨勢に流されざるを得ないのは当然なのである。一方、欧州などの中小メーカー、特にオーナー系の企業などは株主に特段気を遣う必要もなく、かつ信念にブレがないから、強みが発揮されるのだと思われる。

いい意味でも悪い意味でも、日本の大企業のエンジニアやビジネスマンは所詮サラリーマンである。大企業では、もうからない事業は「悪」だ。もうからない(=利益率の低い)事業部門でも、研究開発費をふくめた巨額の本社経費を負担しなければならないから、もうからない部門には人的資源をつぎ込むことはできない。設備投資を含め、リソースをより有効活用するためにはよりもうかる、もしくは、将来もうかりそうな事業に持ってこなくてはならない。だから時代の趨勢に流されるのである。

そういう意味では、最後のCB機として、ICB-87Rが2005年ころまで生産され続けていたことは、ある意味ソニーに感謝すべきなのかもしれない。

 
「久々に造ってみる・・・」と言っても、完成したのはもう一年以上前(笑。その間試聴を重ねていた?ということか。

上)窪田アンプは回路自体が極めてシンプルな上に、本機はシングルプッシュ、しかも電源部は別にしてあるので、アンプ本体はシンプルそのもの。信号以外は直流のみ。ボリュームは音質劣化(もしくは音質に影響を与える)の最たる要因なので、付けていない。

下)電源部。右左完全独立。新品で余っていたスイッチング電源を使用したので、電源電圧は±24Vと低い。 電解コンデンサはチャンネル当たり10万μF。右手前の青緑色の部品はリチウムイオン電池で、電圧増幅段はバッテリー駆動できるようにしてあるが、現在は使用していない


時代の趨勢に流されるのはよいとしても、経営としての問題はそのあと、それまでに培われた強み、さらに言うと伝統や企業文化などをどのように生かすかということだろう。オーディオに話を戻すと、まだアナログが頂点に向かいつつある頃はソニーは最も輝いていた時代で、創造性に富んでいた。ときには奇をてらいすぎて「外す」こともあったが、先進性の進取の気概に満ち溢れていた。例えば、ターンテーブル(レコードプレーヤー)は、フィードバックを利用しながらアームをモーター制御して針圧をかけると同時に、針がレコードの内側に向かう慣性の力を電子的にキャンセルするシステムを考案したり(バイオトレーサーと呼ばれた)、アンプでは、今でいうところのスイッチング電源を採用して薄型のデザインを実現したり、ASP(Audio Signal Processor)と呼ばれる電子式のボリュームやシグナル経路のコントロール&最短化を行い、終段の熱の放射にヒートパイプ(液体の気化熱を利用し効率的に熱の放散を行う)を採用したりしていた。単に奇抜なことをするだけでなく、それなりに評価を受けていたところが重要だ。奇抜な技術を採用したところで、音が悪くなってはオーディオの世界では全く意味がない。しかも、エントリークラスのモデルでこれらの技術を実現していたのである。とにかく新しい技術を積極的に応用しようという気概があったように思われる。FMチューナーについては、一般的に70年代後半からPLL化が進み始めていたが、「不揮発性メモリー」も積極的に採用していた。不揮発性メモリーとは、電源を落としても記憶内容が維持されるメモリーで、今では当たり前の話だが、当時は商品の宣伝文句にも使われていたぐらいだ。つまり、チューナーに関していえば、PLLでボタン一発で選局が可能になり、メモリーがその周波数(局)を記憶できるようになったということである。アナログが頂点を極めつつある頃というのは、裏返して言うとディジタルオーディオの勃興期だ。70年台後半に、D級増幅回路によるオーディオアンプを最初に出したのもソニーらしいし、ビデオテープを使ったPCMレコーダーの上市やフィリップスとのCD規格の共同開発はヒストリカルな出来事として世に知られているところである。

『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』の著者、ジリアン・テット氏はこう語ったそうだ。

『私が10代のころにいちばんお気に入りだった製品は、ソニーのウォークマンでした。しかし、今日、ウォークマンを持ち歩いている人はほとんどいません。
1999年、日本がちょうどデジタル革命に差し掛かっていた当時、インターネット時代のポータブルオーディオを支配するのはソニーだと、誰もが考えていました。素晴らしい技術者がいて、素晴らしいハードを作る力があり、音楽レーベル、つまりコンテンツも持っていた。ブランド力もありました。世界のどの企業もかなわない強みを、ソニーは持っていたわけです。

ソニーは実際、1999年の後半に新しいデジタル版ウォークマンを発表しました。問題は、社内のそれぞれ異なる部門が、2つの新製品を同時に作ってしまったことです。さらにその後、3つめの製品も登場しました。その結果、自社の製品同士で「共食い」が起き、結果としてどの製品もあまり売れませんでした。』

大企業や政府の官僚組織で、各部門が分断化され、互いにコミュニケーションを欠いた状況、ある種の部族主義と、全体を見渡せなくなる視野狭窄の組み合わせが、「サイロ・エフェクト」だそうである。ポータブルオーディオの世界でソニーがリードできなかったのは、サイロ・エフェクトにも一因があったのではないか、ということのようである。

「電子製品の技術開発の進化のステージが変わって企業を取り巻く社会の在り方が変わったんだから仕方ないじゃあないか、いつまでも新進気鋭じゃ続かないよ」、というのであれば、それはお話にならないとてつもない言い訳である。社会や経済環境の変化を察知&予知して、その環境変化に対応していくべく、自ら変貌を遂げていくのが企業経営の在り方だ。「言うは易く行うは難し」としても、それを標榜することを失ってしまったら最後だ。

電子立国日本はなぜ凋落したか、といった類の読み物は結構出ているので、そうした議論はそちらに譲るとして、問題は凋落とともに、例えばオーディオの世界では部品レベルでも進化が止まってしまったかのように見えることだ。それは、たとえば携帯電話がスマホになり、韓国・中国製に取って代わられても、多くの重要な電子部品が日本製であることとは、少し状況が違うように思われる。

ということで、窪田アンプとは全く関係のないところから始まったが、
次回「その2」に、つづく


                                   ('17/1)




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