気分はAlways三丁目の夕日

なぜオジサンなのか?
CB無線を移動運用していると、よく人に声をかけられる。声をかけられない方が少ないと言った方がよいかもしれない。話しかけてくるのはたいてい同年代以上のオジサンである。なぜオジサンなのか?それは、昔、アマチュア無線をやっていたからとか、CBをやっていたからとか、何を機械いじりしているんだろう、と単なる興味だけで近寄ってくる方も含めて、理由はいろいろである。

不思議なのは、今だかつて子供に興味津々に、見入られたことがないということである。当局が子供の頃は...と昔話をしても始まらないが、長いロッドアンテナを繰り出したトランシーバーを操るオニイサンさんでもいたら、間違いなく興味津々に見入ったものである。

現在の小中学生にしてみれば、「あんな長くて不便な物を振り回して、大人げも無くおもちゃのような古びた機械?を弄り回しているへんなオジサンがいる」くらいのものだろうか。彼らは、そもそも何も線がないところで、居ながらにして、他人と会話がつながるのが当たり前の世界に、もの心がつく前から育っているのだから当たり前の話なのだが、では、我々が子供の頃に抱いた、なぜ自分の声が遠くの人のところへ線もないのにつながるのだろうかという好奇心は、全く価値の無いものだったのだろうか。

すぐ身の回りに有った好奇心の対象物というものが、科学と文明の進歩とともに当たり前の世界になったとき、子供たちは何に興味を抱くのだろうか。文明が進歩したからといって、幼い子供たちの精神年齢も格段に進歩したわけでもないだろうし、世の中には、まだ、現在の科学をもってしても解明できていないものがたくさんある。しかし、例えば素粒子の世界は、顕微鏡で覗けるものでもないし、近くの天体は望遠鏡でも覗けても、光速で膨張し続ける宇宙の端は、そう簡単にのぞけるものではない。現在の疑問の対象は、間接的な本やテレビの中の世界での、トランシーバーとはレベルが違いすぎる対象物になってしまっている面がある。

理科離れとアマチュア局の減少は同根?
科学というものが、我々に心理的に身近なものから、遠いものへ変質してしまったような気がする。心理的にというのは、自然現象や物理法則の側は何も変わっていないのだが、われわれの接するときの認識が変わったということである。しかし、「もの心がつく前からそういう環境で育っているのだから当たり前の話」だと言って、簡単には済まされない。最近学生の「理科離れ」が話題になっているが、身近に関心を抱けるものが「無くなった」現在、簡単にできる、かつ、面白い理科実験等の実演を通して、好奇心を引き出し、なんとか子供の頃から理科に興味をもってもらおうといった試みをよく耳にする。これはもう一度、我々の身近にある「不思議」について気づいてもらうという試みの一つかもしれない。

ただ、時代が変われば興味の対象も変わるだろう。変わっていく事について特に異議を唱えるつもりはないが、なぜ変わっていくのかについては興味がある。問題は、何に、なぜ(どうして)、新たに興味をもつのか、ということだ。その答えはなかなか出てこない。

所有することの喜びも変わる
話は少しそれるが、「学生の理科離れ」と、なんとなく共通するのが、こちらも良く話題になる「若者の車離れ」、である。最近、カーメーカーは若年層の車離れに歯止めをかけようと躍起になっている。

いまや趣味を聞かれて「ドライブ」と答える若い人など殆ど見かけなくなった。そもそも、車の運転を楽しむという意味での「ドライブ」という言葉は死語になりつつある。

「車を運転することなど、うっとうしいだけ。渋滞にはまったら嫌だし、なぜ運転するなどという苦労を自ら進んでしなければならないのか。車を買うほどのお金があれば、他に買いたいものがたくさんあるし、車が無くてもほとんどの場所へ簡単に移動できる。たとえ車を買うにしても、荷物を積めなければ車の意味がない。車は単なる移動手段であり、用件をすませるためのツールでしかない。」

もしそういう声が、100人中100人の若いオニイサン達から聞かれたとしても、驚きはしない。車は以前若者にとって、自己主張の一つの手段でもあったが、「スペシャルティーカー」などという言葉は知っている人さえ少なくなった。車は、自己主張や自己確認のツールではなく、単なる移動や荷物運びのツールに過ぎなくなってきた。

車の雑誌を何種類も買い漁り、免許もない中高生の頃に抱いていた、いつか(大学生になったらすぐに)自分の車を持って、いろいろなところへ自由に行きたい…そんな願望はもうどこにもないのだろうか。

車で旅行に出かけるぞ、といわれるとワクワクし、後席の真ん中の特等席に陣取って、運転席と助手席のシートの肩に両手をあてて、そのすきまから首を突っ込んで、あきずにフロントガラスに見える光景を眺めていた子供の頃の感情と、現在の当局の子供らの感情との共通項はない。今や、「ボケーとしている移動の時間がもったいない」、とか、子供に言われそうである。それでいて、「Always三丁目の夕日」とかが大のお気に入りで、「昭和30年代の子供たちは楽しそうで良かったね~」などと言っているのだから訳が分からないが。

「昔の」トランシーバー:
「トランシーバー」という言葉には、独特の尊い響きがあった。
そのしっかりとした造りやエンブレムに、「トランシーバー」に対する意気込みが窺われる。
左・中:TX-830 検定合格昭和41年、右:RJ-20 検定合格昭和40年

感動がすべてを前進させる
人を動かす原動力は単純だ。すっげえ~!とか、カッコいい!、なんで?、口惜しい!、という感動や感情である。いまだに、遠くのものを聞けたという喜び、自分の発した電波が遠くへ届いたという喜びに感動し続けている当局は、アホな存在(確かに!)なのかもしれないが、人は機械ではないから、感情がすべてである。感動という感情に複雑も単純も、高等も下等もない....と当局は信じている。(笑)

車の話に戻ると、タイで、車で移動するのに雇った運転手さんは、一生懸命働いて、いつかイスズのピックアップトラックを買って自分で商売を始めるのが夢だと言っていた。実際タイで生産される車の70%は1トンピックアップで、この種の自家用車(特にイスズ)を持つことは一つのステータスでもある。中国で世話になった役人は、市の公用車であるアコードを乗り回していた。今の給料ではムリだが、いつかは自分でもアコードを買いたいと、熱っぽく語っていた。
インドへ行けば、二輪車に3人乗り、4人乗りで街中を走っている姿をよく見かける。運転はお父さん、お母さんは、お父さんとの間に上の子供を挟んで、シートの一番うしろに、下の幼い子はお父さんの前にといった、4人家族でのバイクの4人乗りである。タタという現地カーメーカーがナノという2500ドル(25万円)で買える車を発表し、世界中の注目を集めた。価格面だけがセンセーショナルに捉えられているが、その本質を理解している人は意外に少ない。一家4人が雨に濡れずに、4輪車に安全に乗れるというのは、いわばカーメーカーにとっても、国民にとっても悲願でもあるのだ。彼らがバイクの4人乗りから4輪の自動車に乗り換えられたときの感動はひとしおだろう。

果たして、ICB-87Rを運用中に、通りがかった子供に興味津々に話しかけられる日がいつか来るのだろうか?来るのか来ないのか、それはまた、別の興味でもある。
                                                        ('08/11)


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