目にはさやかに見えねども・・・
目にはさやかに見えねども…などと言っている間に、世の中はすっかり冬に突入してしまった。
最近はオーディオの世界からも遠ざかっているが、当局が使用しているオーディオアンプは、自作の「窪田式」アンプである。

「窪田式」アンプというのは、窪田登司(くぼたたかし)さんが設計されているアンプで、オーディオアンプの自作家であれば知らない人はまずいない有名な設計者である。「窪田式」は、初段の完全対称差動増幅回路やK213/J76のコンプリによるドライバー段などの設計が特徴的で、当局もこれまでに何種類も製作させていただいた。15年以上前に自作したアンプもまだ元気に安定して作動している。余談だが、スピーカーは、もう亡くなられたが、伝説の?自作スピーカー師、長岡鉄男さんの教えを何年もの間乞うて、その知識を基に設計・自作したものを愛用させてもらっている(もちろん直接教えを乞うたわけではないが)。

最近、窪田さんはどうされているのだろうと、ネットで見ていると、アインシュタインの相対性理論はニセモノである、という主張を展開されているようである。もっとも、「最近」といっても、長い間オーディオから遠ざかっている当局が知らなかっただけで5年も6年も前からの話である。大学の教授と一緒になって、相対性理論はウソであるという本も何冊か出版されているようである。
相対性理論に盾をつく、などというと、どこかの得体の知れないオッサンと思われる方もいるかもしれないが、窪田さんは立派な技術家である。大学教授と一緒になって本を書いていることなどからも理解していただけよう。反論にあたってのその理論の深遠さは当局などが覗き得べくもない高度なものなのだろうが、その理論以前に、いろいろ面白い例をあげられている。特に我々(私?)のようなシロウト電波屋さんには興味深いものがある。

純粋な理論の真偽の世界は当局のようなものには議論できる資格がないので、さまざまな一般書で取り上げられている例示についての反論についてだけご紹介しておきたい。当局も学生時代からいわゆる相対性理論ものの一般書を読み漁ってきたので、目からウロコのものもある。ただし、ここから先は当局の勝手な解釈によるもので、窪田さんがそのように意図されているかどうかは全く別であるという前提である。


まずは、特殊相対性理論のシロウト向け解説(一般人向けTV解説や書籍など)として真っ先に取り上げられる、「同時の相対性」である。特殊相対性理論では、光の速さはどの運動状態にある観測者にとっても不変であるという、光速度不変の原理が根幹を成している。「同時の相対性」は光速度不変の原理から導き出されるもので、違う運動状態にある観測者Aと観測者Bがいた場合、観測者Aにとっての同時は、観測者Bにとっては同時ではない、という意味である。つまり、同時というのは運動状態の異なる観測者ごとに異なる相対的なものである、ということである。
よく引き合いに出される例はこうだ。

列車の真ん中から、進行方向の列車の壁Aとその反対方向の壁Bに向かって光を放つとする。その真ん中(光が出る部分)に観測者Aが立っているとしよう。今、列車が静止している時、観測者Aから見ると、放たれた光は壁A、壁Bに「同時に」届くと見えるはずである。なぜなら観測者Aは壁Aと壁Bに対して等距離に立っているからである。次に、その状態のまま、進行方向(壁A方向)に列車がある一定の速さvで走っているとする。列車が静止している時と同様に真ん中から、壁Aと壁Bに光を放つとする。すると、観測者Aにとっては、列車が静止時の状態と全く変わりはないから、列車が静止時同様、光は壁Aと壁Bに同時届くように見えるはずである。これを、列車の外で静止している観測者Bから見るとどうなるか。「光速度不変の原理」から、光は壁Aに対しても、壁Bに対しても同じ速さで進む。しかし、壁Bは列車の速さvで光に近づいてくる(壁Aは逆に遠ざかる)から、観測者Bからみると、光は壁Aより壁Bに早く届くことになる。観測者Aにとっては「同時」であることが、観測者Bにとっては同時ではない、つまり観測者の運動状態が違えば同時も同時でなくなり、「同時」は相対的なものに過ぎない、という説明である。
これが、一般的に「通っている」「同時の相対性」の説明だ。

これで十分納得だろうか?


しかし、電波屋さん(光も波動の側面を捉えれば、電波の一種だ)はこの例示で納得してはいけない(笑)。この例で行くと、実は速さvで動いている列車の中にいる観測者Aにとっても、列車の外で停止している観測者Bにとっても、「光は壁Bに早く到達する」、というのが正解だ。つまり「同時は相対的でない」ということになる。

分かりやすいように、列車の長さが地球と月の距離の倍ある列車を想定し、観測者Aであるあなたは壁Aと壁Bに向かって、恐ろしくサイドの切れた超指向性のあるアンテナで、いわば「EME」通信を行うとする。つまり壁Aと壁Bは地球と月の距離の2倍離れており、観測者Aであるあなたは真ん中である地球の位置に立っているとする。また、この巨大な列車は壁Bの方向に光速の半分0.5cの速さで動いているとする。月と地球の距離(壁A、壁Bまでの距離)を38万キロとすると、あなたから両方の壁に放ったUHF波は、列車が静止時には、約1.266秒で壁A、Bに同時に到達する。しかし0.5cで走行時は、0.844秒後に壁Bに到達するが、遠ざかる壁Aには、1.26秒より長い時間がかかることになる。実際には、「恐ろしくサイドの切れた超指向性のあるアンテナ」や「UHF波」を想定する必要はなく、レーザーのパルス波を想定すればよいだけの話だ。(もっとも、折り返しの時間を考えれば見かけ上は同時に見える)

元に戻って、列車の中で観測者Aが壁A、Bに向かって光ではなく、同じ速さでボールを投げたらどうなるか。観測者Aにとっても、観測者Bにとっても、ボールは同時に壁A、Bに届く。なぜなら観測者Bにとっては、ボールの速さは、列車の速さと合成されるからである。逆に言うと、光はニュートン力学におけるように、合成されることはないのである。電波(光)の速さは、電界と磁界の相互作用する固有の速さだから、我々電波屋さんにとっては至極当然の話に思われるのだが・・・。これは、音波にたとえて言うと、マッハ1で飛行する航空機の前面に巨大なスピーカーをつけて飛行方向に音を出しても、音速が合成されて、音がマッハ2で伝わることは決してないのと同じことである。

ところで、既にお気づきのように、これまでの話は、静止とか速さvと言っているがどの系に対して言っているのか?という点をすべて無視している。地球上で静止しているといっても、地球は自転しているし、地球自体は30Km/秒で太陽を公転している。太陽系にしても銀河系のなかでは運動しているだろうし、銀河系自体も広い宇宙の中では動いているはずだ。すると、相対性理論の話で必ず出てくる例のマイケルソン・モーリーの実験結果はどうだったのか、という疑問がわいてくる。光も音波などと同じように、波動を伝達する媒質「エーテル」があるはずだということが考えられていた当時、ならばエーテル風の向きによって光の伝播速度が変化するはずだ、という、かの有名なマイケルソン・モーリーの実験だ。この実験では一つの光をハーフミラーで直進する光と、それに直交する光に分光し、戻ってきた光の両方の位相を比較することで、光の速さの違いを検出しようとした。地球は「エーテル風」の中を公転しているのだから、同じ観測装置で観測していれば、時間や季節が変われば、ある時間(季節)ではその公転の速さが光に合成され(エーテル風に逆風になったり、追い風になったりすることにより)、かならず直交する光同士の速さでは違いが生じるはずだ、ということを立証しようとしたが、うまくいかなかった。
「絶対静止」していないのであれば、光の速さに違いが生じてもよいということになるのか?

次回は、重力で光が曲がる、という例である。 (つづく) 

('10/12)


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